それにつけてもM-1 2022

元芸人のたわごと

準々決勝 金属バット

飽きたのか、鈍ったのか、それとも嫉妬か、いろんな感情が入り混ざるが、、面白いかと言われれば面白くはなかった。彼らに求める面白さのハードルが無意識的に上がってしまったのかもしれない。

 

 

ネタの構造がとても簡単になった。同じフォーマットの会話の流れを数回、繰り返しているだけ。最後のオチ前だけつまらない話をしてしっかり落としてはいるがその前まではやっつけ仕事にも似た自己模倣に見えてしまう。要は完全なる嘘の話、特に最近はファンタジー寄りの話をしてその中でリアルなボケを入れて笑わせる。「非現実の中の現実」で笑いをとってる。人魚と出会ったという荒唐無稽な話をしている中で喫煙所の話をしたり人魚の声がベジータだったり。完全なファンタジーの中にリアリズムを混ぜ、状況を想像させてそのギャップで笑わせている。この手法ならこの2人じゃなくてもいい。いや、この2人はずっとこれをやっていたのだが、、、なんかファンタジー要素が強くなりすぎて彼らを初めて見たときに受けた新しさや衝撃がなくなってしまったように思う。彼らにはリアルとファンタジーちょうど半分半分の話の中でリアルなボケをしていて欲しかった。見た中では金の鉱脈のネタがそれをしていて信じられない面白さと異彩を放っていた。

 

シンプルに言うと「寄ってしまった」。大衆に合わせすぎている。分かりやすく寄ったなと分かるところは、「大阪の南港ってとこ〜」のところだ。以前ならば「南港に〜」ですませたはずだ。そしていってもツッコミに大阪のかい、くらい言わせてすませたはずだ。大阪の会場で準々決勝受けてるわけだし観客も大阪の人ばかりなんだからなおさら説明する必要はない。それくらいのスタンスでいたはずだ。それがボケが自ら大阪の〜って説明してしまっている。これはもう伝えやすくしようという「寄せ」以外のなにものでもない。無意識だとしたらそれは余計悲しい。

彼らの面白さの特徴はあの見た目で変に知的であるところでもあった。

インゴットに精錬する技術、とかそれに対するコンゴと同じ悩みや、とか、数学のパラドックスや、数学で考える競馬必勝法とか、合法的に住民税?を払わなくて済む方法やその詳細、バックギャモン、ルール分からんゲームや、とか、文盲なんかい、とか。物凄いワクワクさせてくれるワードセンスに魅力があった。悪を感じる知的さがあった。今までの漫才には出てこないワードがたくさんあった。今回はそれがない。

 

あとボケツッコミのリズムが完全に一定になってしまった。緩急がなくなった。ところどころ彼らなりの血が通っているやりとりはあるが根っこが機械的になってしまった。全てがやっつけに感じるほどに。テンションも無駄に高くなっているし。完全に良さが薄れた。

 

それすらも分かっていて、合わせればええんやろそれで稼げるんや気楽な稼業でっしゃろホンマに。なんて気持ちでやっているのかもしれない。そこまで達観して全てをバカにしているような気はする。そういう2人でもある。

 

でも、シンプルにネタは面白くなくなったと思う。それはリアルから遠ざかったから。

 

 

やっぱお笑いやりたいな